櫛田神社に代々伝わるはなし

江戸時代中期のこと。当時山笠は競争はなく途中の聖福寺や承天寺で昼食を取り、のんびりと舁いて回っておった。

土居町に美人の娘がおってな、堅町(かたまち)の若者のところに嫁入りしたそうじゃ。仲むつまじい夫婦で近所に年始に出掛けた。ところが土居町の若者がおけを婿さんの頭にかぶせて、酒宴の余興にしてしもうた。そこから両町は大げんか。

その年(1687年)の山笠で土井流は三番山、堅町の石堂流(恵比須流)は四番山。土井流は東長寺で昼食を取っとった。石堂流は追い抜かそうと一気に駆け出した。負けじと土居流も「オイサ」。

他の流もつられて一気に走る、走る。

「面白かったバイ」「勇壮やったね」。博多っ子たちは大喜び。
のんびり舁くことはなくなった。

これが追い山の始まりげな。