平成三十年度:2018年 舁き山
報文武秀小松君
平重盛公(1137~1179)は、「平氏に非ざる者は、人に非ざるなり」と権勢を誇っていた平氏の棟梁平清盛の長男で、性質温厚にて武勇の人と伝えられ、保元・平治の乱の功にて朝廷に重んじられ、従二位臣(後に正二位)と人臣位を極め、通称小松内府と呼ばれている。(小松とは重盛公が居を構えた六波羅小松第からによる) 時に、父清盛と後白河上皇(後法王)の関係は悪化し、武門の総領として、また朝廷の民として、その和解に苦慮し、日本外史を著した頼山陽の「欲忠則不孝、欲孝則不忠」の名文は、よくその心境を表していると言われています。 博多においては、安元年間、重盛公が宗国への使いとして博多の人を重用し、と同時に博多の町にも大きな恩恵を施し、その報恩として国の無形文財に指定されている「博多松囃子」行事が始まったと伝えられ、今なおお5月3、4日の「博多どんたく」の源流として博多の氏子によって奉仕されています。