祭りずきの中でも、いっちゃんのぼせもん!
正 月 | ……… | 各流れで初寄り |
1月28日 | ……… | 櫛田神社に各流れの代表者が集まり新年総会 今年の当番町の確認 |
2月 | ……… | 当番町では活動を開始する |
4月~5月 | ……… | 当番町では準備活動が本格的に始まる |
6月 | ……… | 1日より山笠関係者は法被を着ることが認められる 初旬より棒洗い、小屋入り神事が行われる |
7月1日 | ……… | いよいよ、山笠本番! 夕方、当番町は「お汐井取り」に行く 飾り山笠の公開開始 |
7月4日頃 | ……… | 舁山笠の台に棒をつける「棒締め」を行う |
7月1日~7日頃 | ……… | 山笠を神格化する「御神入れ」が行われる |
7月9日 | ……… | 山笠に参加する全員が集合し、「お汐井取り」をする |
7月10日 | ……… | 「流れ舁き」 |
7月11日 | ……… | 祝儀山「朝山」が早朝行われる 夕方、「他流れ舁き」 |
7月12日 | ……… | 「追い山ならし」 |
7月13日 | ……… | 「集団山見せ」 |
7月14日 | ……… | 「流れ舁き」 |
7月15日 | ……… | 「追い山」 |
午前零時半から二時にかけて、櫛田神社まえの土居通りに一番から各流れの舁山がそろえられ
(山据え)、到着の手一本が入れられる。
四時五十九分、1番山が、太鼓の合図とともに櫛田入りをする。
約五キロのコースを廻り止めに向けて山笠が走って行く。
追い山の櫛田入りが終わって神社では「鎮めの能」が舞われる。
当番町では、町に帰った山笠を崩し始める。
伝承によると、鎌倉時代の1241年夏、博多で疫病が蔓延し多くの人々がその犠牲となりました。このとき、宋から帰国してきた承天寺の開山聖一国師弁円が、町人達のかつぐ施餓鬼棚に乗って町内を練りまわり、疫病封じの祈祷水をまき清めたとされます。
この施餓鬼棚が発展して山笠の形となったともいわれていますが、それについては他にも諸説があり、その起源は定かではありません。
毎年7月1日から15日までが山笠の期間であり、その間、博多の町のいたるところに「飾り山」が建てられ行き交う人々の目を楽しませてくれます。1日には当番町、9日に全流れによる筥崎浜でのお汐井とりが行われ、10日夕刻の流舁きから舁き山笠が動き出す。
11日早朝は朝山、12日午後は追い山ならし、13日午後は集団山みせ、14日の流舁き、そして15日早朝の追い山で全行事を終わります。