清道旗
追い山、追い山ならしには3つの清道がある。櫛田神社境内と、東長寺、承天寺前で、そこには「清道旗」が立てられる。櫛田神社の清道旗が無かった時代は、櫛田入りの方法(廻る基点)がまちまちであったので、嘉永元年(1848)東町下によって建てられ、これを廻るようにした。現在でも旧東町の人たちが管理している。縦6.5m、横90cm。東長寺、承天寺は明治26年から。旗は、江戸時代の琉球貿易船の舳先に飾られ、航海の安全を祈ったとされる。また、幕末には朝鮮通信使の行列にあり。とか、はっきりとは分からない。博多が、海とともに栄えた土地柄だからかもしれない。
清道
清道とは「天子の行幸の道を払い清める」「先払い役」などの意味。
櫛田神社は、山笠を祗園様に奉納するために廻る。
東長寺は、神仏混淆時代に櫛田神社のお寺で櫛田神社に神官はおらず、寺の住職が祝詞をあげていた頃もあった。その恩に山笠を奉納している。
承天寺は、山笠発祥之地と伝えられるところ。
二つのお寺は、住職が姿を現し、山笠の”表敬”を受ける。台上がりも”目一本”(会釈)をする。神事でありながら、仏教も忘れない。
※神仏混淆(しんぶつこんこう)とは、仏教を浸透させるため、日本固有の神と仏様を融合させた。明治維新の神仏分離令(1868)まで、わが国の宗教観念だった。
きゅうり断ち
博多人は祭り期間中、胡瓜を口にしない。サラダに入っていてもつまみ出す。学校給食にも出ない徹底ぶり。祗園様(素盞鳴大神)の神紋が、胡瓜の切り口に似ており、畏れ多いというわけです。しかし、織田信長が天正年間に、京都・感神院(現八坂神社)に寄進した御輿の紋に由来するとされる祗園様の神紋は木瓜(ぼけ)であり、胡瓜とは異なる。旬のものを断って、神様に精進潔斉を示すということでしょう。